ニュージーランドの前にオーストラリアに一年ほどいたのだがその時に自炊するようになった。自炊とはいっても最初の頃はインスタントラーメンのような簡単なものでごまかしていたのだけれど、次第に体調を崩した。睡眠時間はしっかり取れているのに立ち眩みやフラつく事が出てきたり、爪先が割れたり肌がカサついたりと栄養が偏っていたのは明白だった。滞在するのは一年の長丁場になるので毎食外食で過ごすという訳にもいかずに、スーパーで食材を一度買ってみると案外安く済んだのだが、魚や野菜の測り売りにはしばらく慣れなかった。
海外の生活リズムに慣れてくるのに反比例して日本食が恋しくなったので簡単な日本食を作るようになった。大抵オーストラリアで出会う日本人はワーキングホリデービザで来ている人ばっかりだったのでビザに一年の期限がある。行く先々でそろそろ帰国しなくてはならない日本人を見つけては味噌や醤油などの調味料を分けてもらった。今のようにクックパッドなんてなかった時代である。自分の味の記憶を頼りに大してうまくもない煮込み料理にいちいち感動して、残り汁すら捨てるのが勿体なく思えてスーパーで買った数十セント(数十円)のカレーパウダーを使って作ったのが家庭科の授業以外で作った最初のカレーだった。
その後日本を出る時に送別会を開いてくれた友達が、バーで教わったというカレーのレシピをメールで聞いたり、現地にあるスーパーの食材をあれこれアレンジして何度か作った。
自分のカレーには実は秘密がある。
『狂ったように炒めたたまねぎ』である。
一般的に言われる『アメ色になるまで』を通りこして黒っぽくなる。焦げてしまうと焦げた香りがカレーに移ってしまって抜けなくなるのでそれなりに集中力が必要とされる。
仕事が見つからずに一週間分のカレーを作った訳だが他に目的があった。
現実逃避である。
半分自分の人生終わったと思っていたので『死ぬのが怖くない』とまで言ってしまうと語弊があるかもしれないが、恐らくは他の人よりも恐怖心が薄かったと思う。オーストラリアから結構無茶な事を繰り返していたので、だいたい2,3カ月に一回くらいは「あっ、ここ本気出さんと死ぬヤツや」みたいな状況が生活の延長線上に身近にあってトラブルや不幸な偶然が重なって向こうの方からやってきた。「怖い」とか「嫌だ」いったレベルのものではなく「2,3カ月毎にほっといてもやってくるもの」として認識していた。例えるなら律儀に自宅にやって来るNHK受信料支払いの催促のようなもので、ドアをノックされて開けてしまってからバツの悪い顔して「さーて、どう乗り越えようかな」みたいな感じである。(うちテレビないけど・・・)ので、遠からず、いつかは受信料払う事になるかもなという予感はあった。
仕事探しの際に毎回気迫で頑張っていたけど全てダメだったので、気持ちとしては「もー、やれる事は全部やったからな、後知らんからな」と、誰かに対してボヤいており、自分の人生頑張る気なかったのだけれども、お腹減った程度では人ってなかなか死なない。
振り返った時にこういう体験は友達とかにはカッコつけながら「死ぬこと以外はかすり傷」(※読んだ事ない)みたいな景気の事をいいたい所なのだが気がちっちゃいのでそうは問屋が卸さない。実際そういう状況に直面すると、プライドなんてかなぐり捨てて見苦しい程生に執着する自分も何度か見ているので、持ち金がゼロになって、また見たくもない自分の一面を知る事になると思うとただただ憂鬱だった。
・・・昔の日記を読み返してみると、当時相当テンパっていたのか、岡本太郎が言いそうな事ばっかり書きなぐっていたのですが、だいたいこんなお話。結局、帰国してからももだらだらとカレーを作ったり欧風カレーの作り方を教わったりとカレーを続けている訳である。カレーというかこの時の体験がアイコンとなって繋がりが出来た方も多い。・・・ちなみにキッチンでカレーを売っていた時間だけ「Prince of curry」(カレーの王子様)と呼ばせていた事は余談である。
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