現在カレー屋さんをはじめるために店舗を探している。
きっかけはスパイスカレーでも、インドでカレーを食べて感動したという訳でもなく今から10年以上前にさかのぼる。
ニュージーランドで生活をしていた時期があり、当時ただただ絶望的にお金がなかった。ニュージーランドへも行きたくて行った訳ではなく、その前に一年程ワーキングホリデーでオーストラリアで生活していた。ビザが切れるという時期に日本に帰るお金が無く、何かオーストラリアを出る方法がないか探しているとニュージーランドへならビザの取得が可能とわかり逃げ込んだ形だった。
なのでニュージーランドで観光したという記憶はほとんどなく、印象に残っている事といえば差別だったり、自転車盗まれたり、食べれそうな草探したりと、あまりいい思い出はない。ただただお金が欲しくてが欲しくて日本に帰りたかった事を覚えている。
自分の滞在した年は天候が悪く不作だった。主に外国人労働者には簡単に仕事が見つかる農場での仕事を探して南島のロクスバラという町にしばらく滞在したのだがマネージャーとのウマが合わなかった。歩合給でリンゴを取る仕事をしていたのだが、マネージャーと言い合いになっているうちに嫌がらせのようにリンゴの少ない場所しか割り当てられずに生活は貧窮した。
おまけに宿のシャワールームで石鹸で足を滑らせてしまいアバラの骨を折るというコントのような怪我をしてしまい、負のスパイラルから逃げるために隣町のアレクサンドラに移った時には手持ち金が6~7000円程度しか残っていなかった。
宿では日本の文化もしらないキウィ(ニュージーランド人の愛称)相手に土下座してパスポートを質草にして宿代を滞納した。農場の仕事を探し始めてみるもどこも人でいっぱい。天候が悪い影響があり求人自体が少なく、しばらくは仕事は入ってこないらしい。仕方ないので町中に履歴書をもって飛び込みで働かせてもらえませんか?と飛び込みで入るも小汚い恰好をした変なアジア人は相手にされず、目についた店どこも相手にしてもらえなかった。確か43軒だった記憶している。
連敗が続いていたが当時は落ち込んでる余裕すらなく、目に入った一通の商店全てに断れると、やるべきことはやっという訳のわからない充足感にかられ、これから先の自分の命はもう知らんという達観した精神状態になっていた。
今だからこそ笑い話だが、当時の自分の人生は本当に完全に詰んでいた。今回の人生はたぶん生きて日本に帰る事はできないんだろうなーとぼんやりと、2,3週後にやってくる金欠の恐怖を感じて憂鬱な気分になっていた。
お金がないというのは精神上あまりよくない。ATMの残高がちが300ドル以上あるとそろそろ何とかせなアカンなとなり100ドルになると細めで残高を眺め、変な汗が出てくる。やがて住所不定無職、帰りの航空券ない状態で50ドルを切ってくるとレシートを細めに見ても立ち眩みが始まる。
しかし、動くからだはあるのにやる事ないというのもなかなか拷問で、なかなか過ぎない時間は一秒一秒が重くのしかかる。
「とりあえず何か食べるもの作ろう」
暇つぶしに入ったスーパーでカレーパウダーが安く売っていた。海外には市販のカレールーはなく、あったとしても日本のルゥの2~3倍はした。対してカレーパウダーは安く、1ドル(100円以下)で買えた。
とりあえず一週間分の食糧を作る事にしのでした。
続く
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