天啓が下りてきた。

 それはいつもと同じ昼下がりだった。

彼は何もない休日にそうするように、部屋の掃除をして洗濯をすると、コーヒーを淹れた。洗玄関先に張った濯ロープに洗濯ものを干す。晴れた日には心なしか洗濯物が気持ちよさそうにみえる穏やかななひと時だった。

 

 『こども食堂』という言葉をよく耳にするようになったのは最近のことだった。

 最初にその話を聞いたのは近くで児童発達支援の事業所をされている人からだった。子供食堂をもう二年になる。話を聞いていると活動する事自体立派に思えたが、基本的にボランティアで運営するので人が集まらない時などはできないので残念そうにされているのが印象定期だった。

 他にも少し変わった銭湯のミーティングに出た。シングルマザーは子供と銭湯にいけないといった話題になり、そこから子育てをしているとなかなか銭湯に行けないという話やこども銭湯なるものが存在するという事を知った。

 また別の機会では、本当に食べる事に困っている子供がいるという話も耳にした。今住んでいる所は世間的には比較的裕福な地域とみられているが、中には本当に給食しか食べていない子供がいたり、「ごはんたべた」と言うと、本当に晩御飯が「白ごはん」しか食べていないという子がいるという話には驚いた。

 なんとかならないものか。

 こども食堂のような取り組み自体は素晴らしいものだと思うが、彼は福祉の仕事に長く携わっていたせいもありあまり積極的な気分になれなかった。


 周囲には仕事やボランティアで熱心に社会活動に携わっている人たちを見て来た。その行動力や熱意に敬意は抱いてはいる。が、間近で見たり少なからず関わったりしていると、自分には到底真似できそうもなかった。

 福祉の観点から本当に助けたい、社会のセーフティーネットから漏れた人たちは申請すれば助かるのというのに、心を開かず孤立して人がいたりする。立ち入る権限もなく、そんな人たちがいる一方で、支援する必要のない人からはクレームのような電話がかかってきたりする。融通の利かない横柄な役人に対する憤り、弱者の期待と制度の矛盾などの板ばさみにあっていた。義憤にかられて怒っているいるのか哀しんでいるのかわからないよくわからない知り合いの横顔は途方に暮れているようにも見え少し苦しそうだった。

 またいろんな、会議や勉強会に出ていると気がついた事があった。人は誰もが認める正しい行いをしていると思い込んでしまうと、自分の正義を振りかざして周囲に対して批判的になったり、他の意見を受け入れづらくなる側面があるようだ。彼もまたそのような資質がある事を自負していた。もちろん使命感や周囲の期待をエネルギーに変えて邁進していける人もいるのだろうが彼はそうではなかった。身の丈以上の事はすまい、協力する事はあっても主体的に動こうとは思わなかった。しかし。


  昼になると先日行ったイベントの残りのカレーを解凍した。

休日の雑務が一息ついて、ラジオを聴きながら昼食の準備をした。幸せという程でもないが、なかな満足のいく昼下がりだった。

 この所毎日のようにカレーを食べていた。最初の数日は普通にカレーを食べ、昨日はカレーうどん、今日はトマト缶とミンチを入れて、ボロネーゼ風にするつもりだった。毎日カレー食べるのも苦ではなかったが、流石に完成した日と比べると風味も落ちて満足度はどうしても下がる。

 この残ったカレーで子ども食堂の足しにする事は出来ないだろうか。

 基本的にイベントでカレー出す時は少し多めに作る。自分の残って余ったカレー程度であればタダで食べさせてあげた所で問題なかった。


 かといって行政などに相談する気にもなれなかった。そこまでの使命感や熱意もない。公的なものに相談すると、補助金とまではいかなくても少なからず税金を使っている可能性があり、ノルマはなかったとしても活動報告みたいなものは何とも煩わしい。

頭でそうは思いながら一方でまったく別の事も考え始めていた。


 「・・・いや、タダでカレー出すだけなら一人でもできないか?」

気になることはやってみる(アカンかったらその時考える)

思いついたりやってみた事をつらつらと書き綴ります。

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